警視流武術

 

 警視流武術は、大政奉還した明治初頭に、国家警察であった東京警視庁で制定された歴史ある武術流儀である。

 

 伝承内容は、柳生流を始めとする日本を代表する伝統流儀の中から、古式の技を採用し、撃劔術・居合術・柔術(捕縄術を含む)の大きく3つの武芸が、武士が生きた時代の姿のまま伝承されているのが特徴である。

 

 江戸時代が終わりを告げた明治初頭、かつて武士として活躍していた古流剣術・古流柔術の師範らは、その卓越した技能と特技を活かすべく警察官となり、武術指導を行う教官として『武術世話掛』という役職に就いた。

 

 そして、武術世話掛となった伝統流儀の師範らが協議して、自らが継承していた伝統流儀の中から、実戦的な技を厳選して提出し、警視流の形として制定するに至った。

 

 警視流では、念流の流れを汲む堤宝山流や鏡心明智流の様に、有名流儀であるにも関わらず、流儀断絶に至った伝統流儀も内在しており、今や、警視流武術の中でしかその片鱗を見ることが出来ない貴重な伝も数多く存在している。

 

 近年、警視庁においては、全剣連の現代剣道や講道館柔道に重きが置かれる傾向にあり、警視流撃劔術ばかりか、警視流居合術・警視流柔術を相伝する伝承者も年々少なくなっており、警視流武術の存続が危ぶまれている。

 

 当会においては、黒田藩士内田良五郎の弟子である剣聖中山博道が伝えた古式の警視流撃劔術・警視流居合術が伝わっており、相伝した伝系と共に、今日まで正しくその技が伝承されている。

 

 また、警視流柔術においても、初代柔術世話掛を務めた良移心頭流の達人『中村半助』が、養嗣子の中村源太郎鎮義(旧姓、蒲池源太郎鎮義。黒田藩柳生新陰流第13代蒲池源三郎鎮浪の叔父)へ柔術を相伝し、代々、黒田藩柳生新陰流の継承者が、古式の柔術も今日まで大切に伝承してきた。

 

 警視流武術は、黒田藩とご縁のある流儀であり、当会では、日本で全ての警視流武術を継承する数少ない会派として、門人一同、誇りと使命感を持って、当流儀の保存伝承に努めている。

 

 

警視流居合第2代之統

中山博道直筆『至誠通天之書』