福岡藩二天一流兵法

沿革

 

 福岡藩は、天才軍師黒田官兵衛が礎を築き、古くから実戦武芸を重んじてきた52万石の大藩である。

 代々、名門の黒田家が当主を務めてきたことから、別名『黒田藩』とも呼ばれている。

 剣聖宮本武蔵の養父で、實手刀術の達人として恐れられた新免無二斎も、古くから黒田家に仕え、天下に名を馳せた天下無双の武芸者であった。

 

 『黒田藩傳二天流兵法』は、剣聖宮本武蔵が晩年に『五輪書』を託した寺尾兄弟の兄、寺尾孫之丞信正の流れを汲む本家筋の流儀である。黒田藩士であった第七代丹羽五兵衛信英まで黒田藩に代々伝わり、その後、丹羽五兵衛信英が越後藩へ仕えたことから、師範家の五十嵐家を経て、熊本藩傳二天一流兵法第十八代荒関二刀斎が同流を襲名継承した。

 

 越後では、俗称の新免二刀流(神免二刀流)と呼ばれることもあるが、当会では、本来の正しい呼称である『黒田藩傳二天流兵法』として伝承している。

 

 一時期、師範家の五十嵐家が大火に遭い、伝書が焼失して伝系の一部が判然としなくなる不遇に見舞われたが、宮本武蔵研究の第一人者であった鳥取藩武蔵圓明流第十三世谷口覓らが、五十嵐家の菩提寺や伝書資料などを入念に調査し、現在ではその伝系が全て明らかになっている。

 

 寺尾家に伝わっていた古式の組討技法や試合勢法などの口伝は、熊本藩傳二天一流兵法と共に、当会に今日まで正しく伝承されている。