天眞正傳新當流長太刀

(穴澤流薙刀)

     

『穴澤流薙刀』は、正式名称を『天眞正傳新當流長太刀』と言い、日本で最も格式の高い伝統薙刀の流儀である。

 

 戦国時代、天下一と謳われた新當流長太刀の達人『穴澤浄見秀俊』の名を冠して、別名、『穴澤流薙刀』と呼ばれ、戦国時代、多くの武人に恐れられ、その名声は薙刀の名門として天下に轟いた。

 

 薙刀の実力を示す逸話として、長い槍を持った2人の槍術師範を相手にしても、圧倒的な強さで勝ちを治め、『その術技は神の如し』と讃えられたと言われている。

 

 穴澤浄見秀俊は、佐渡国で育ち、松本備前守政信の高弟であった上泉信綱に新當流を学び、天眞正傳新當流兵法第4代飯篠盛綱に師事して、新當流長太刀の極意を学んだ。

 

 そして、当時、天下人であった豊臣秀頼の武術指南役を務め、新當流長太刀術の達人として天下に名を馳せた。

 

 穴澤浄見の弟子には、柳生家信、金春七郎、阿多棒庵(柳生利厳の薙刀の師)等がおり、古くから穴澤流と新陰流の繋がりは大変深く、当時、新陰流の免許皆伝者は、穴澤流薙刀を併修しているのが常であった。

 

 後に、黒田藩柳生新陰流兵法正統第15代宗家である光武勢州斎藤原秀信が、併伝の黒田藩新當流長太刀の他に、新庄藩伝承の穴澤流薙刀の皆伝印可を受け、平成27年10月、穴澤流薙刀第16代宗家を襲名継承している。

 

 現在、柳生本家を始め、他の柳生新陰流会派では、新陰流の外之物である穴澤流薙刀や新當流刀槍を教授出来る皆伝師範は皆無となってしまったが、当会においては、古い伝統を墨守し、新陰流と共に貴重な秘伝が現在も受け継がれている。