黒田藩傳柳生新陰流兵法

正統第十四代宗家

濱田正雄勢州

 

福岡県出身。

武号 勢州。

免許皆伝。古武道九段範士。

 

 黒田藩(福岡藩)52万石の礎を築いた『黒田長政(疋田新陰流の免許皆伝者)』の子孫として、黒田藩武術師範家の厳格な家系に生まれる。

 

 幼少より類い稀なる才能を発揮し、黒田家に代々伝わっていた疋田新陰流、柳生新陰流、タイ捨流の流れを汲む安倍立剣道、新當流刀槍、陽流砲術、その他黒田藩武術を数々と修めた。

 

 柳生家信伝の新陰流は、有地家、三宅家の師範家を経て、第14代濱田勢州が正統継承者として宗家となったが、継承に至る歴史は以下の通りである。


 黒田藩柳生新陰流は、明治以降、第11代三宅清左衛門尉源七から大きく2系統に分かれ、のちに渡邊派(渡邊久太郎統景系統)と三宅派(三宅三右衛門尉継信系統)が師範家として双璧をなした。


 三宅継信の弟子であった蒲池鎮浪は、渡邊統景の外弟子となり新陰流を学んだ。


 濱田勢州は、蒲池鎮浪から皆伝印可を受けると共に、蒲池の師匠であった渡邊統景の直弟子となり、渡邊から後継者に指名され、唯授一人の皆伝印可を拝受して、黒田藩柳生新陰流兵法正統第14代を継承した。


 その後、濱田勢州は、皆伝印可を修めた宗家でありながら、上泉伝や武蔵伝を更に極めるべく、尾張藩最後の剣術指南役であった柳生厳周の最高弟、神戸金七・新陰流居合範士の鈴木安近・尾張柳生師範家の渡辺家と親交を深め、神戸金七に師事して、尾張藩新陰流兵法及び尾張藩圓明流兵法の皆伝印可を拝受して、伝統武芸を極めた。

 

 そして、当時26あった伝統流儀を束ねる日本伝統武道連盟初代会長に就任し、福岡藩の伝統芸能を守るべく、長年に亘り全国で後進の指導に務めるとともに、その生涯を伝統芸能の伝承と伝承者の育成に捧げた。

 

 昨今、疋田伝と柳生伝を混在して、流祖伝来の伝書内容とかけ離れた目録で指導をしている会派、流祖考案の袋竹刀を使用しない会派、続け使いの燕飛(猿飛)目録において、失伝や誤伝が著しい会派が一部散見されるが、濱田勢州が伝えし正伝新陰流は、抜刀勢法にとどまらず、三學、九箇、燕飛、七太刀、天狗抄、奥儀太刀、無刀取、二十七箇条截相に至る、柳生家が伝えた教伝内容に則し、流祖伝来の古式の身勢、朱色の袋竹刀による組太刀稽古を古来から重んじ、今日まで正しくその伝が継承されている。

 

 第十四代濱田勢州が伝えし柳生家信公の正伝新陰流は、伝統流儀を大切にする熱心な弟子らの支援により、遠くはなれた関西の地に、いまなお、脈々と生き続けている。