新陰流居合術

     

 新陰流居合術は、戦国時代に剣聖上泉武蔵守信綱が創始し、新陰流兵法第2代柳生但馬守宗厳が伝承した古式の実戦的な抜刀術である。

 

 かつて、柳生宗厳は、信頼の厚かった柳生家信、柳生宗矩、三好左衛門尉らに、新陰流の皆伝印可を許すと共に、上泉信綱直伝の新陰流居合術を相伝した。

 

 天正7年(1579年)に三好左衛門尉宛てに印可状を発行したのをはじめ、初期の弟子の目録 には、『円太刀、向上 、極意 、人取手、居合分』等の内容が記載されており、無刀取や捕手術の前身である人取手の他に、伝書の中に『居合』の文字を確認する事が出来る。『居合分』とは、『居合の分野』という意味で、その略語である。

 

 また、古来より、新陰流居合は、無双直伝英信流や夢想神伝流に大森流居合として一部採用され、他の流儀にも大きな影響を与えてきた歴史がある。

 

 近年、他の会派において、新陰流に居合は存在しないと唱える会派や制剛流居合を新陰流居合と称して指導している会派が散見されるが、当会においては、柳生宗厳が柳生家信へと伝えた本来の新陰流居合術が、古伝礼法とともに現代までそのままの形で伝わっている。

 

  新陰流居合の特徴としては、二刀差しを想定した古式の竪納刀を重視し、タイ捨流に見られるような蹴りや手刀の当身を多用した組討の抜刀術や、多敵に囲まれた際に、回転しながら瞬時に敵を斬り倒す荒々しい秘伝技法があり、戦国の世を生き抜いてきた新陰流居合の妙技が今日まで正しく伝承されている。

 

 皆伝継承の際には、古式に則り、誓紙血判を差し出した後、宗家より新陰流居合術の免許皆伝巻が授けられる。

 

 当会では、新陰流剣術と共に、今なお、日本の貴重な伝統文化が脈々と受け継がれている。